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makistove315

まきすとーぶさいこー

カエルの楽園

子供には外で活発に遊んで欲しいと思っている。それは幼児期における遊びを通じた運動の実践は、心身の発育には重要であるためだ。

野山を駆け回って育った子供は、感受性が豊かで、心身ともに健全な人間に成長すると言われている。晴れた日には心地よい太陽の光を浴び、雨の日には濡れた不快感を感じる。風を肌で感じ、植物や昆虫に触れてイノチを学ぶ。自然との触れ合いは、人間力のすべての基礎となる。

 

親として自分が望んだことではあるが、子供が外で頻繁に虫を捕まえてくる。子供は虫に対する不快感やら恐怖心やらといった感情が欠如している。蝶々、トンボ、セミ、ダンゴムシ、青虫そしてカエル。何の躊躇もなく不快の極致の生物を捕獲して来て、満面の笑みを浮かべて自慢してくるのだ。

 

いつからだろうか。昔は素手で平気に触っていたはずなのに、拒否反応が出てくる。特にカエルのあのヌルヌル感が受け付けない。海外旅行の際にカエルを食べて全身に湿疹が出てからだろうか。高校時代に川沿いで、車に踏まれて昇天した巨大なウシガエルの開きを見てからだろうか。小説「二十四の瞳 (角川文庫)」でカエルを踏み殺す描写を読んでからだろうか。理由は定かではないが、とにかく受け付けない。

 

 

そんなカエルを子供が捕獲してきたことがあった。

カエルは透明なふたの無いビンに入れられていた。ビンは背がそれ程高かった訳では無いため、ジャンプで飛び越えて逃げることも可能であった。

しかし、観念したのか、全く逃げる素振りを見せなかった。

 これから話すのは百田尚樹カエルの楽園」とは関係ありません。

 

 

とあるカエルの悲観的人生

子供が捕獲してきたビンの中の腰抜けカエルの姿が、自分の境遇とシンクロした。

カエルはビンの中という狭くて水・食料が無い不快極まりない環境で、恵の雨を只待っていた。たまに降る雨は神の恵みだ。これが無ければ干からびて死んでしまう。

と考えている。ジャンプで外に出れば無限の可能性が広がっているにも関わらず、そうしようとしない。

 

ビンは透明なため外の景色を見る事が出来るが、ふと外を見ると水たまりで悠々自適に暮らすカエルが見えた。腹一杯で水辺で昼寝をするカエルの姿を見て、

「なんて贅沢な奴だ。貴重な水だぞもっと大切にしろよ。それにしても、羨ましいなあ。自分もああなりたいなぁ。自由になりたいなぁ。」

と愚痴をこぼす毎日であった。

 

そんなある日、外で悠々自適に暮らすカエルはビンの中で自暴自棄になっているカエルを不憫に思い、

 

「おい、早くこっちにこいよ。」

「ピョンっと軽く飛ぶだけだぞ。何やってんだよ、誰でも簡単に出来るぞ。」

 

と声を掛けた。しかし、ビンの中のカエルは、

 

「そんなの無理だ。無理に決まっている。」

「もし、失敗したらどうしてくれるんだ。責任取ってくれるのか?他人事と思って無責任な事言うなよ。」

 

と答えた。外のカエルは、

「失敗しても失うものは何も無いだろ。」

 

と言ったが、結局ビンの中のカエルは挑戦しなかった。ビンの中で次第に弱っていき、もはやジャンプする余力は残っていない。遠ざかる意識の中、自分の境遇を恨み、他人を妬み、愚痴を言いながら静かに永遠の眠りについた・・・

 

 

・・・

 

 

自分もこのビンの中のカエルと同じだ。自分よ!なぜ飛び出さないんだ!

 

一度囲われると、思考回路が停止する。

人間なんて所詮そんなもんだ。その辺のカエルと同レベルだ。

 

カエルの楽園

カエルの楽園

 

 

 

二十四の瞳 (角川文庫)

二十四の瞳 (角川文庫)